【虐待のカルマ】 親子関係におけるカルマの影響《父親編》

皆様、ごきげんよう。
角尾珠生でございます。

秘書Tとしてブログを書いてきましたが
私の経験から多くの方が救われるように、
「虐待からの救済者」として立ち上がろう
と決意しました。

一人でも今救える魂(人)がいるなら
助けになりたいと、
自分自身の「虐待」の歴史から
カルマを紐解きます。

 

 
誰かの救済、
そして自分自身の救済のためにも、
家系に流れるカルマについての恐ろしさや
子供時代にどのような影響を
受けざるをえなかったのかを
皆さんにお伝えしていきます。
 

父との関係から気づかされた「虐待のカルマ」



今回は、父との関係から気づかされた
「虐待のカルマ」についてです。

親子とは、
血を分けた最も近い間柄であり、
多くの場合は長い間生活を共にしますから、
生活様式、口調、思考など、
親から子へと影響を与えます。


先祖代々受け継がれてきた物や
習慣などの他にカルマも
何処かで清めないと、
次の世代に持ち越され、
そこで更に影響が増して
次の世代へと引き継がれます。

本日は、そんな
親から子へ脈々と受け継がれた
「虐待のカルマ」のお話

させていただきます。


親から子へ脈々と受け継がれた「虐待のカルマ」


私の父は、生まれてすぐに
母親が家を出て行ってしまい、
父親の元で育てられました。


祖父は明治の生まれの
ゴリゴリの男尊女卑と
いき過ぎた厳しさを
兼ね備えた人でした。

祖母は耐えきれずに
乳飲み子の父を置いて
家を出るしかなかった様です。


そんなあまり健全とは
言えない家庭で育った父は、
祖父に支配される事になりました。

そして長男として
見事に全てのカルマを背負い、
私たちの父親となりました。

私の幼い頃の父のイメージは
【いつも怒っている人】でした。
何の前触れもなくいきなり
怒り狂って暴れ出すのです。


「それは怒る事?」と
疑問に思うような場面で、
命の危険を感じる程の怒りを
ぶつけられた事を覚えています。

ただし恐怖のせいでしょうか、
具体的にはほとんど覚えていません。

人間の脳はうまく出来ていて、
心を壊さないために
辛すぎる記憶は
消してしまったりするからです。

僅かに思い出せるのは、

  • 重たい手提げ金庫を
    投げつけられた。

  • 雨の日に外に放り出されて
    ひどく足が冷たかった。

  • 暗い物置まで引きずって行かれ
    閉じ込められて、
    息が出来ないくらい泣き叫んだ。

  • 刃物を投げられて
    それが足元の床に刺さった。

  • 私がうつ病を発症した20歳前後の
    一番辛い時期に、
    「そんなに頭がおかしいなら、
     病院に入って二度と出てくるな」
    と罵られた。

といった事です。

父の場合は、
どんな行動に対しても一貫性がなく、
気分で許容したり怒り狂って暴れたりと
予測ができないので、
いつも緊張して父の顔色を伺って
生活していました。


「俺の言う事を聞け。俺に逆らうな。」

と言うのが口癖で、
何かを誤魔化そうとするかの様に
毎日お酒を浴びるように飲んでいました。

ただ、本当に一瞬だけですが
少年の様に無邪気で心優しい父を
垣間見る瞬間もありました。

海に行った時に空き缶で
水クラゲを捕まえてくれたり、
お祭りにおんぶで連れて行ってもらった事

など。


辛くて忘れてしまった記憶が多い中で、
それだけは私の中で大切にしている

思い出です。

そんな父も故人となりましたので
真意を確かめるのは難しいのですが、

今分かるのは、父は、

【とても傷付いて
  寂しがり屋の少年のまま
   大人になってしまった人】


だったという事です。



父は祖父に支配を受け、
自由意志を持つことを許されない
「長男」として育った
ようです。

これは子供だった父にとって
「虐待」とも言える事
です。

そして大人になっても
自分の夢を捨て、
祖父の元で祖父の言いなりに
仕事をする事を強いられました


母親はおらず、父親からも
無償の愛や慈しみを受けられず、
学校でも虐められたり
仲間外れにされて育ったため、

大人になった父は
無意識に祖父から受けた虐待行為を
妻や我が子に与えて支配し、
絶対に自分から離れない様にしました。

あるがままの自分を受け入れて欲しかった、
ずっと側にいて欲しかった。
自分を一人にしないで欲しかった、
どんな自分でも変わらず愛して欲しかった。

父は子供の頃ずっとずっと
それだけを求めたのでしょう。


父自身が、虐待という支配下に
置かれていたという自覚がなく、
大人になって気付く事もないまま
妻や子を持ったので、
家族へのあり方や接し方を大いに誤りました。

つまり、

祖父は父へ「権力」という刀を使い、
父は母や私たち姉妹へ
「言葉と身体の暴力」という刀を使い、
支配したのです。


しかし、

祖父もまた傷ついた人でした。


若い頃、お正月にお稲荷様に
お札を納めに行っている間に、
まだ赤ん坊の妹が
肺炎で亡くなってしまったのです。

「神様、妹を助けてください」

とお祈りしたのに、
可愛い妹が死んでしまった。

それ以来、祖父は
神さまを信じなくなったそうです。

この世には神も仏もいないと絶望して
信仰心の厚かった曽祖父が大切に供えていた、
20個くらいあった神棚を、
曽祖父が亡くなった次の日に
全部壊して庭で燃やした人なのです。

母親は出ていき、
守ってもらい愛されたかった父親に
支配された父。

そして、

二番目の姉が心を病んで
私を虐待し、最終的に自死する程、
更に私がうつ病となる程、
「支配」と「虐待」は続いたのです


「不幸を見ないようにする」
「何かを知ってもどうする事もできない」
「誰にも助けを求めることはできない」

と、家族の皆が
本心を隠し続けて生きてきたある日、
一番上の姉が、

大上院先生の元で
カルマを清める決意をしました



このカルマを清めるとは、

「先祖の因縁」や
「先祖代々に流れる

 強い影響を及ぼすカルマを解き清める」

という事です。

「神言」を受けて知った
先祖からの数々のカルマのお話も大切です。


祖父、父、私たち
各個人が作ったカルマの他にも、
もっと昔からの強い影響を受けて
先祖代々引き継がれたカルマがありました。

  • 足軽時代に比叡山延暦寺を
    焼き討ちしてお坊さんを斬り殺した。
    (信仰から離れ敵を倒す、恨まれる)

  • 土地のカルマ:
    蛇神様の土地に家を建てたのに、
    全く祀らずに敬わなかった。
    (神様からの預かり物、
      与えられたものという
      感謝の意が消え、欲得で生きる)

色々なものが複雑に絡み合い、
家族が家族でありながら憎しみ合うように
それぞれが影響を受け継ぎ、
戦い、憎しみ、命を引き換えにする、
といった形で現れました。

そして、

祖父や父、私と、
何かに取り憑かれた様に
買い物依存症になったり、
お酒を飲んだり、暴食したり、
人を傷つけたり、自分を傷つけたり、
と繰り返したわけです。

カルマを解き清めない限りは
苦しみから解放されないというのが
私の体験から出した答えです。

物理的な物で心の傷を癒そうとしても
癒えません。


餓鬼が飢え渇きの苦しみから
逃れようとしても、
口に入れようとした物全てが
燃えてしまうのと同じ様に、
どれだけ手に入れても
満たされる日は来ないのです。


祖父も父も仕事柄、
莫大な資産を得ました。


それでたくさんの物を
手に入れていながらも、

自らの不足している「愛」を
物や快楽で満たそうとして
湯水の様にお金を使い、
全部使い切って亡くなりました。

それでも結局、本当に欲するものを
手に入れる事はできませんでした。
それも仕方のない事です。


「カルマ」を知らずに
何とかしようともがいても
カルマの渦からは逃れられない、
と教わりました。

祖父や父の姿はまさにその通りだったのです。


愛されているという実感無く育つというのは、
人を愛するということを知らないのと

同じです。

その結果、
人を愛して自分も愛すというのが
至難の技になります



その中で一生懸命もがきながら、
先祖代々のカルマを解き清める事や
魂の学び(真理)を学び続けて、
時に辞めたい、逃げたいと思いながらも
意を正して実践してきた私が言うのだから
本当です。

ほとんど、不可能に近い事なのです。

つまり私は素晴らしいという自画自賛を
ちょっぴり致しました、えっへん!


今の私が、父に対して感じる
一番の感情は【哀れみ】です。


もっと素直に私に接してくれたら、
私も父の求める物を求める形で
与える事が出来たでしょう。

「お前が大切だ」と素直に表してくれれば、
私も「私もそうだよ」と応えたでしょう。

「いつも側にいて力になるから安心して良い。」
と素直に表現してくれたら、
私も父の側にそっと寄り添い、
もっと寛容で優しくする事も出来たでしょう。


しかし、父は出来ませんでした。


何重にも絡まったカルマの影響を受けて
恨まれる霊たちに憑依された様な
状態になってしまい、
ただ私をたちを支配し、搾取し、
強要する事だけしかできなかったのです。

なんと可哀想な人だろうか、
もっと違う未来もあっただろう
と思うと残念でなりません。

今、これを書いている私も
先祖のカルマを解くまで、
大体、10代~20代の頃は
父に対して憎しみを募らせ、
父と同じ様に怒りと悲しみに飲み込まれた
酷く暴力的な人間でした


しかし父は倒れ、
意識不明の重体から寝たきりになりました。



二度と施設から出られないだろう
という事が分かり、
屈強な体をしていた父が
緩やかに衰え枯れ木の様になって、
自らは何も出来ず
ただ横になっているのを見て、

【あぁお父さん、
  昔私に言った言葉通りの
       死に方じゃないの。】

と一気に哀愁の念が込み上げて来たのです。


あの時、
本心ではなかったかもしれないけれど、
病気で苦しんでいる人に対して
「病院に入って二度と出てくるな。」
なんて言ったら駄目だったのよと。

人は生きた様に死んでいくという言葉に
ずしんと貫かれた様な感覚でした。


そして、父は
「子を支配し虐待したした罪」という
自分自身がつくったカルマを
こうして身動きが取れず
意志を持てなくなることで
身を以て清めようとしているのだ

と先生方に伝えられました。

そこから私は意を決して、
父の代わりに様々な手続きや
借りていた倉庫の片付けなどを
率先して行いました。


父の人生の責任は
父が取らなければいけません。

しかし、その手伝いを
私がやってあげたいと感じたのです。



過去の憎しみに囚われて、
父を拒絶し見捨てる事は
どうしても出来ませんでした。

その時は父の行為の全てを許す事は
まだ出来ていませんでしたが、
父には父なりの傷があって
それを癒そうとしたけれど
方法を知らなかった。

誰も支えてくれる人がいなくて、
全てが本人にはどうしようもなく
致し方ない事であった。

まさに不運な悲劇だったと
今は思えるようになりました。

と同時に、その悲劇を
二度と繰り返すまいとも思います。


父から虐待されたからといって
私がそれを引き継ぐ必要はない。

虐待された子供時代のトラウマを抱えて、
大人になってからも苦しむ。

そんな悲しい人間は私で最後したいのです


祖父や父がそうであった様に
あまりに大きな傷を負った人間は
その負のループから抜け出せずに、
意識的または無意識に
自分より弱い立場の人間に
それを背負わせて、
自分の苦しみを和らげようとします。

これは間違った行為であり、
誰もが不幸になる選択です。

辛くとも踏み留まって
自らを癒して愛し肯定し、
他者へも慈しみと愛を与える。

それが苦しみを癒す
唯一の方法だと私は考えます


幸せも不幸も全ては連鎖するのです


つまり、この場合は
「虐待」というカルマが連鎖していきます。

どこかで誰かが、
その家とその家族の負のループを
断ち切ってカルマを解き清める。


その行為がとても重要です

簡単に出来ない事、
辛くて疲れ切ってしまう事、
周囲の理解が得られなくてしょんぼりする事。

本当に様々な事が起こり、
現在進行形で起こっている事もあります。

もう全部放り投げてやめたいと
思った瞬間は数え切れません。

楽な方に流れて行こう!と
身を投じた事もあります。

しかし、すぐに【これじゃない】と
気付いてしまうのです。

こんなものが欲しいわけではない、
こんな事がしたいわけではない。

私が本心から欲するものは
別にあると気付かされるのです。

そしてそれを手にするためには
やっぱり順番にやっていくしか
方法はありません。

そうすると
父のせいで今の私はとても大変だとか、
父が悪くて私は被害者だとか、
メソメソしている時間が勿体無いと
感じるようになります。


過去は今更どうする事も出来ません。
しかし
未来はどのようにでも
作り変える事が出来ます。

未来をどうしたいのか、
そのために今できる事は何か、
そこにフォーカスする事がとても大切です。


憎しみから一度離れて
自分の中の悲しみを認めて慰め癒せば、
憎んだ相手から自由になることが出来ます。


私は父が見せてくれた
「犠牲者が加害者になるという人生」
を体験し、

父が身をもって私たちに
最も大切なことを教えてくれたのだと
思えるようになってきました。

そしてこれからの人生に役立て、
誰かの人生を救えるのではないか、
という気持ちが生まれたのです。


私は自分の人生を生きます。
それは自由で穏やかで
優しさと愛に満ちた人生です。


祖父や父が手に入れられなかった
満たされた人生を手に入れる事、


それが最高の親孝行であり
彼らの供養になると信じています


もし誰かから「虐待」をされている
「支配」されていると気付いたら
すぐに相談してください。

そして、その原因である
個人のカルマや先祖のカルマを
清めてください。