【HIKARUの体験談】仙台藩が治めた地を清めた経験

こんにちは、瑆です。

前回のブログで、父方・母方の両家系の先祖の【三六九の儀】が終わってから、
実家や実家のある宮城県(仙台藩が治めた地)を清めることになったことに触れました。

はじめに【三六九の儀】を行ってから早3年。
今年に入ってから、私の実家から車で30分ほどの場所にお住まいの方とご縁をいただきました。

その方のお話を伺っていて、その土地に壮絶な歴史があったことを知りました。
戦場だった時代にはかなりの方が亡くなられたことや、遺体を燃やしていた場所であった、など。

お話を聞きながら、これは私の実家の付近にも何かあるな、と思ったことと、
そして、
地元宮城の方とご縁をいただいたということは、広く宮城県全体を清めるタイミングなのかも?と直感的に思ったのです。


それが、奇しくもちょうどコロナウィルスの流行が始まった頃でした。

海外ヨーロッパやアメリカで大流行して医療崩壊する様子が報道され、
国内においては、各県、少しずつ感染者が出始めて、ロックダウンするのか?という噂が流れ始めた時期でした。
皆さんの、感染や死への不安が最も強く渦巻いていた頃です。

一度実家に帰省しようとしたところ、東京からということで家族に渋られました。
私は「このまま家族に会えないのだろうか?」と不安を感じました。

そんなこともあって、両親の個人の過去生の【三六九の儀】を行っていなかったことも思い出しました。

実は、両親の【三六九の儀】は、両親に視えない世界や、先祖代々続くカルマということを少しでも理解してもらってから行いたいという希望と期待を持っていました。


しかし、このような世界のことは、私もそうであったように、一般的にはなかなか理解し難いことです。

それを先生にお話しした時に、「わかって欲しいという期待は湧くけれど、そこに期待はしない。先に【三六九の儀】を行って差し上げる事は、逆に親孝行になるし、行った後に理解を示してくれるように変化が起きることもある」とお話しいただいて、私も納得して行うことができました。

【三六九の儀】を行うという事は、もちろん霊界も清まるということです。
今生を全うし、霊界に還った時に、還る場所が清まっているのは嬉しいことですよね。私は喧々轟々やっている霊界よりは、和解して平和な霊界の方がいいです。

私の「両親に理解して欲しいという思い」は、清まった霊界に還った時に感じてもらえればいいか、と思うようになりました。


【三六九の儀】は、コロナ流行が収まってから、という方もいらっしゃいますし、様々な状況で執り行うことが難しい場合もあると思います。
しかし、もし可能であれば早目に行うことをお勧めします。

私は、コロナ禍だからこそ、早く行いたいと思いました。

なぜなら、この世の法によれば、
「カルマを解いた範囲内でしか神様は守護できない」と学んでいたからです。

背負っているカルマが大きければ、神様は手出しができません。
私は、自分が過去生でもお世話になり、今生で生まれ育った土地、
そして今も家族や親戚が住む宮城の地を、そして両親も守護いただきたいと思いました。


さて、清めていただく土地を調べてみました。


今まで自分が育った土地の歴史を調べようという気にならなかったことに驚きましたが、焦らずとも、知るタイミングはやってくる、ということですね。

実家付近の土地。
ここは昔、お城があったようで、現在は公園になっていますが、なんと城跡が残っていました。
この地域一帯は、戦国時代は戦場で、ちょうど領土の境界で合戦が行われていました。その後、畑や水田として使われるようになったそうです。
近くに城跡があったことにとても驚きました。

そして、妹の居住地付近も調べたところ、
「妹の居住地」、「亡き祖父の居住地であり駅があった場所(祖父は駅長さんでした)」、そして「祖父が亡くなった地」も、近いことに気づきました。

そしてその地を守る氏神様も一緒でした。


こんなに近いのに、自分の中で全く繋がっていなかったことに驚きました。
意識していないと全く気づかないということです(汗)


ちなみに、先生方とご縁を繋いでくれた亡き祖父が生前駅長さんだったことを思い出したのは、守護神の導きにより土地を清めたこの経験です。
【体験談】守護神の導きから土地を清めた体験『真の姿とは、自然であり調和である』


ほんと、全て繋がっています。

祖父は、この地である駅の駅長をしていました。
大正時代に開通した、仙台鉄道です。

しかし、戦後の2つのカスリーン台風、アイオン台風により、鉄橋や線路が流され、なんとか復旧したものの経営が悪化し、廃線となったそうです。

https://www.pref.miyagi.jp/


祖父は、廃線後、駅舎の脇の土地を畑にして、そこで作物を育てたり、家畜を飼って生活をしたそうです。もちろん父も子供の頃そのような生活を送っていたそうで、父の苦労も改めて知りました。

この付近は、昔から、畑、家畜など農業が盛んに行われていた地域でしたが、私が調べて非常に驚いたのは、仙台藩の処刑場跡が近いということでした。
元禄時代に、178年にわたり、約7,000人が処刑された場所だったのです。
ここは、お仕置場と呼ばれ、凡下・百姓・町人などの一般庶民層や、武士でも獄門になると凡下に格下げしてここで処刑されたそうなのです。

祖父が自死した交差点は、昭和20年頃に交通事故が多発し、仙台市が調査した結果、この場所が処刑場の跡地であったことが判明し、処刑者の怨念を鎮めるために慰霊碑を建てたそうです。慰霊碑には祖父の名前も刻まれています。
祖父はきっと、この地で苦しんでいた御霊さん達の影響を受けたのではないかと思います。

そして、祖父は、亡き後、ずっとこの地にとどまっていたのではないでしょうか。自死した場合、自らの力だけでは還れないそうです。
もしかしたら、苦しみながら、妹をこの地に呼んで訴えていたのかもしれません。
そして一方で、妹を祖父と同じ氏神様のもとで守ってくれたようにも思います。同時に、私にも訴えて、先生方とご縁を結んでくれて、導いてくれたと感じます。
会ったことがないけれど、祖父の存在に感謝の気持ちが湧き上がります。



そして迎えた【三六九の儀】当日。



非常に重い儀でした。
それほど敏感でない私がそう感じたのですから相当重かったのです。

宮城県全体を清めていただきましたし、処刑場跡も清めていただきましたので、苦しんでいた御霊さんがたくさんいらしたそうです。この時は、陸奥国一宮鹽竈神社の神様が力を貸してくださったと、大上院先生が教えてくださいました。
ありがとうございます。


帰省する時には、ぜひお礼に伺いたいと思います。
儀が終わって、私はお世話になった土地、そして両親に少しでも親孝行ができたかと、肩の荷が降りてホッとしました。


これが、今年、私が導かれた経験です。




この【三六九の儀】が終わってから、今度は両親・家族だけでなく、従兄弟などの親戚や曾祖父母の家系も気になり始めました。

1つ1つ先祖の川を辿って遡っていく感覚です。
ひとつ清まると、またひとつ深まっていくものなのですね。

そして、「守護神の導きで清めた千葉の土地」の時にも感じたように、清める範囲も広がっていくものなのですね。

実家だけにとどまらず仙台藩が治めた宮城の地を清めていただくことができた、ひとつひとつ、順番に導かれていきます。

そのサインをしっかり受け取って進んでいけばいいのだなということも今回の学びでした。

陶彩画家の草場一壽さんの著書に、『いのちのまつり』という絵本があります。
大上院先生が、【三六九の儀】の時に絵本を一緒に見ながら命のリレーについてお話ししてくださるのですが、絵本には、ある仕掛けと共に、こんな場面があります。

「ねえ、おばあさん、ぼくのご先祖さまって何人いるの?」

「そうだねぇ〜‥‥‥」

(中略)

「ぼくのご先祖さまって、1000人くらい?」

「もっともっと、いるさぁ〜ね」


 ‥‥‥

さて、何人いるのでしょう?
興味のある方は、ぜひ絵本を見ていただきのですが、私たちの想像を絶する数であることがわかります。
普段イメージするご先祖様って、せめて2、3世代先ぐらいまでだと思いますので、初めて見た時にはとても驚きました。

遙か昔から繋いでいただいた命のリレー。


初めて【三六九の儀】を行った時の、「これで先祖の因縁は解けた!完了!」という感覚は、今は全くありません。

ご先祖様の生き様や苦労を知り、感謝をしてお祈りを続けていく。


いただいた命を大切に、今を生きていきます。