《視えず聞こえず感じず》なHIKARUの不思議体験【自然編】

こんにちは、瑆です。
前回のブログでは、【三六九の儀編】ということで、三六九の儀での私の驚きや体験を書きました。

今回は、山登りや畑を通して自然の中で体験したことをお話しします。
もちろん、信じるも、信じないは自由です。
私にとっては実際に体験していることですので《真実》です。


昨年、「出羽三山黄泉がえりリトリート」に参加しました。

大上院先生、道子先生、山を案内してくださる山伏である先達さん、そして、集まった同志で出羽三山を黄泉がえり登山をしました。


出羽三山は、羽黒山、月山、湯殿山から成る山のことです。
信仰の山として知られており、今でも山伏修行が行われています。
羽黒山で禊、白装束で霊山の月山を登り、湯殿山で新たな命をいただきます。

そのうちの月山を登っている時のこと。
9合目に来た時のことです。

それまで鉛のように重かった身体が、一気にスッと軽くなったのです。そして、空気が変わったことを感じました。

実は、月山は霊界(死後の世界)。
霊界を歩いて登り、月山の頂上で神様に会うのです。

先生方によると、霊界の様々なものに下から引っ張られていたものが、9合目に来て、神の界に近づき、神様がスッと引き上げてくださったということです。

視えない私からすると、何とも信じがたい話です。しかし、身体が軽くなったことは紛れもない事実で、とても不思議なのです。

山が好きな私は、山登りは何度も経験していますが、身体が軽くなるという経験は初めてのことでした。

コロナでなければ【出羽三山黄泉がえりリトリート】は毎年行う予定です。
収束したらぜひみなさんにも体験してもらいたいと声を大きくして伝えたいほど壮大で貴重な経験です。


残念ながら、今年はコロナが世界中に広がり出羽三山リトリートも中止、特に東京は自粛が続いています。

そんな中コロナが落ち着いてきて外出自粛要請が解けた6月から、私はほぼ毎週のように自宅から1時間ほどで行ける高尾山に行っています。

自然の中で自分の感覚を研ぎ澄ますことと、体力作りが目的です。

山登りと聞くと、
辛い、大変だというイメージはありませんか?


私は、山は好きでしたが、やはり辛い、大変という印象はあって、なるべく楽に登れる山が好きだったのです。

そんな私に、山を歩くにあたって、先生方が教えてくださったことがあります。

自力で登るのではなく、
登れる自分自身に感謝して歩く
自然、山の力をお借りして一緒に歩く

ということです。ゆっくり呼吸しながら、登るというよりは歩きます。

歩く瞑想とも教えてくださいました。例えば、

今日、山に来れたことに感謝する
・山を歩くことができる自分の身体、足に感謝する

・登らせてもらえることに感謝して、山に挨拶をする
・出会う樹や植物たちに「こんにちは」と挨拶しながら歩く
・小川の水の恵みに感謝する
・動物や虫たちにも挨拶しながら歩く

などです。そしてまた、

・この山や土地が清まるように祈りを捧げる
・この山を訪れる人たちの安全を祈ること


も行います。

こうして歩くと、不思議なほど楽に歩けるのです。いわゆる「山登り」と聞いて想像するのとは違う体感です。

初めてこれを試してみた時は、どこか半信半疑でしたが、すぐに体感が違うことを実感できたので、とても驚きました。

自分自身の体力で頑張って登るのとは違うのです。
自力ではなく、自然のお力をお借りして一緒に登るのです


また、「ウタヒ」を唱えながら歩いても、楽に歩けます


「ウタヒ」は、その場に調和をもたらしてくれるものです。
奏上すると、例えば雲の流れに変化が起きたり、鳥たちが寄ってきたり、風が答えてくれたりと、目に見える変化として現れることも多いのです。

ウタヒの体験談は他にもたくさんありますので、別途【ウタヒ体験編】でご紹介しますね。


ウタヒを体験したい方は、こちらからどうぞ
  ▼ ▼ ▼



こんな体験もありました。

高尾山を下山していた時のこと。
ゆっくり呼吸しながら、足の裏の感覚を感じながら歩いていました。


そこは、小川が流れている路だったのですが、ある瞬間から、ザーッという水の流れる音が、自分の体内から聞こえてきたのです。

水が体内を巡っている、まるで、川が自分の血液であるかのような感覚です。

ですので、川の水が汚いなんてあり得ない、自然を大切に守らなくてはいけない、と直感的に感じました。この小川の水は、イコール私たちである、人も自然もひとつであるということを身近に感じたのです。

そして、御神訓の一節を思い出しました。


神の愛をもて 人と自然を愛せよ
人 自然 霊と霊界との調和において 人の世は成り立つ
人や自然 霊を愛する者は 自ずから成り立つ

御神訓


御神訓が鮮やかに浮かび上がります。
人も自然もひとつであるということを、自分自身の感覚を通して強烈に感じた体験でした。

先生方から自然に感謝して歩く、自然に力を借りて歩く、ということを教わっていなければ、私は今まで通り、ガシガシと自力で山を登っていたことでしょう。そこには、どこか、感謝というより山を征服した感覚があったような気もするのです。

でも、違いますね。


今は、共に在る、という感覚で、山は、行くたびに、自分が小さくなるというか、深く抱かれる感覚になっていきます。

そして、毎日御神訓を唱えていなければ、人と自然、視えない世界と、広く世界を意識して歩くこともなかったでしょう。

御神訓を毎日唱えて、生き方の指針を神様OSにアップデートしていくことはとても大切なことですね。

次に、畑を通しての不思議体験です。

私は、先月から自宅のそばに畑を借りています。
もともとやってみたかったところに、土に触れたくなったので始めました。畑にはアドバイザーさんがいて、野菜の育て方をアドバイスしてくれます。

ある時、空芯菜やモロヘイヤなどを収穫するのに、葉っぱの摘み方を教えてもらったのです。

でも、私は収穫は初めての体験で、教えてもらったような食べごろの葉っぱをなかなか見つけられません。目が慣れていないというのでしょうか。

そこで、「食べ頃だよ~!って野菜さんは教えて~!」と野菜たちに声をかけてみたのです。

すると、なんと!突然いくつかの葉っぱが浮き出て見えてきたのです。

びっくりしましたが、これは野菜たちが自ら食べごろを教えてくれているんだな、と思ったので、主張をしてくれた葉っぱさんを、ありがたく摘ませてもらいました。


これもまた、私の中ではかなり驚いた体験でした。

自分で野菜に話しかけておいて言うのも何ですが、植物達とも意思疎通ができるんだ、という初めての体験でした。

これは、植物も含め、どんなものにも意識がある、ということを先生方の姿を見て学んでいたからできたことです。先生方は、観葉植物や、家具、お家などにも日々声をかけて、愛をもって挨拶したり労ったりと会話されています。

人 自然 霊界は繋がっているというか、ひとつなのだなと、実際の体験を通して、いろいろ学ばせていただく日々です。


そして、《視えず聞こえず感じず》の私ですが、
ファスティングをするようになってから、《感じる》という感覚は明らかに繊細に感じるようになってきました。

今まで感じなかった感覚を繊細に感じ、明確に意識するようになったのです。
しかしそれは、実は《本来の感覚を取り戻した》ということ

本来はみんなが持っている感覚。ファスティングで身体を浄化することにより、その感覚を取り戻すことができたということです。


私は不思議体験と感じてシェアしていますが、本来は当たり前のことのようです。

次回は【ウタヒ体験編】を書きますね。
お楽しみに♪