【珠生の体験談】父の最後の願いと親子関係のカルマの成就のお話

ごきげんよう、角尾珠生でございます。
最近、よく『墓じまい』に関するお話を耳にすることがありました。

家を継ぐ人がいなくなってお墓を管理する人がいない。
先祖代々のお墓が遠方でお世話を続ける事が難しい。
などなど、皆さん様々な事情で『墓じまい』を決意されるようです。

私の実家も父の代で継ぐ人がいなくなってしまったので、ゆくゆくは『墓じまい』も検討していかなければならないのだろうと考えています。


さて、その父が昨年亡くなり、納骨をどうするか?という問題が持ち上がりました。

そもそも実家のお寺のご住職が飲酒運転をして法事にやってくる等、あまり信頼できる方ではなかったので、10年程前に祖父が亡くなった時にも実家のお墓には納骨しませんでした。

祖父が仕事でお世話になったお寺に永代供養という形で収め、一部は三六九の儀の後で、ようやく祖父の遺言の実現となり、父が「祖父の思い出の地に散骨」したのです。

そして今度は、祖父との約束を成就した父が身体を去ることとなり順番が回ってきました。

私は祖父の骨を収めたお寺に同じように永代供養でいいじゃないのと考えていました。
私が分骨として側に置いておいた、亡くなった次姉の骨も数年前にそちらに収めたので父もそちらの方が寂しくなくて良いのではないかと。

父は粗雑で乱暴な人でしたが、同じくらい繊細で愛に飢えていた人でしたから、大好きな祖父と次姉の側にいたいだろうと思ったのです。

しかし同時に、父は叶うならば、幼い頃に父を置いて出ていかざるを得なかった母親と一緒にいたいだろうなと薄々感じていました。


私から見て祖母になるその方はその後再婚され、別の家庭に入られました。
そのために亡くなった後は、婚家のお家の墓に入られました。
ですから、父の望みを叶えることは申し訳ないけれど出来ないと、父に対してほんの少し申し訳ない気持ちがあったのです。

この少しの罪悪感が私の判断を鈍くさせていました。

本来、多くは四十九日の法要に合わせて納骨を行うらしいのですが、父が亡くなったことを受け入れられない母の精神が不安定なことを理由に「1年だけ側に置いてもいいよ」と言ってしまったのです。

そもそも、母は自分で決められない性質であり、依存心の強い人ですから、自ら父の骨を手放すと決断出来ないと分かっていたのに、私の中の迷いが「決めることを避ける」という楽な方へ、つまり自我の方に引っ張られ、判断を誤りました。


誤った結果、母は1年経っても父が死んだ実感がないと言い出し、私は1年間毎晩のように悪夢にうなされて薬を飲んでも満足に眠れないようになりました。
そうなると薄々気づいていたのに、見て見ぬふりをし続けた結果ですね。

そして約束の1年が経ち、もういい加減良いだろうと母に納骨の話をしたら「まだ迷っている」と言い出して、あぁやっぱり駄目だこりゃとガックリしてしまいました。

何を迷っているのかと聞けば、実家のお墓の方が近いからそちらに入れた方が良いのかもしれない、と思っていると。

自分の母親に対して暴言を吐くのはどうかと思いつつも「この人、何を言っているのかしら? 一体、今まで何を見てきたのかしら? ひょっとして見ていなかったの?」と更にガックリしました。

何とか気を取り直して、はっきりと「あの墓に入れるのは私は反対です。あちらのお坊さんの所業を嫌って、お父さんだってお祖父ちゃんを入れなかったでしょ?だからこそ、永代供養を頼んだお寺ならお父さんも寂しくないよねって亡くなった後すぐに言ったよね?」と言うと、またとんでも発言が返ってきました「お父様の遺骨は実家のお墓に入れたんじゃなかったかしら?」と・・・。


母に対して怒鳴らないようにと堪えていたのも限界で、思わず日ごろ心掛けているエレガントな言葉が全部吹っ飛びました。「入れてねーよ!入れてないから永代供養を頼んだり、散骨したんでしょ!」とムッキー!!となりながら説明すると、母もハッとしたように「お母さん、勘違いしてたみたい・・・」と呟きました。

もう、嫌になっちゃう・・・と数日打ちひしがれ、先日のZoomお話会でその話をしたら、道子先生には「まだ納骨していないの???」と驚愕され、勝先生には「早く収めるべきところに収めないと珠生さん、眠れないままだね。」と言われ、やっぱりそうですよね!知ってました!と更に打ちひしがれました。

分かっていたはずなのにやってしまったという後悔と反省の念が、一気に押し寄せてきたのです。


これはもう母が泣こうが喚こうが父の骨を強奪してでも納骨しなければ!と、若干思い詰める私に勝先生が優しく「強奪ではなくて、もう約束の1年だから納骨しますよと宣言して、お祖父さんやお姉さんがいるお寺に持っていったらいいんじゃないかな。」と教えていただきました。

道子先生には「本当はお父さんもご自分のお母さんのお墓かそれがある山に葬ってほしいと思ってらっしゃるけれど、それは相手のお家の許可やご先祖様方を清めたりと、ご理解いただくことが必要だから、お祖父さんやお姉さんがいるお寺に収めるのが一番良いと思うの。」と教えていただき納得することができました。

そうして思い出したのが、そのお話会の日が父の誕生日だったこと、数日前に母が、父に池に突き落とされる夢を見たと言っていたことでした。
父も「もう良いだろう!いい加減、手放してくれ!」と言っているのだと、全てがメッセージでこうして繋がっていくのだなと実感しました


「遅くなってごめんね」と、父にそっと手を合わせて、さっそくその日の内に母の家に行って、約束の1年経ったし今年中にお父さんの骨を納骨するよ!とかなり強く推してみたところ、母は強いものに感化される傾向があるので、デモデモ言いながらも首を縦に振りました。

了承ゲットだぜ!と勢いがついたところで夫に「来週の週末、お父さんの骨を収めに行くけど良い?」と聞いてみたところ「週末は道路混むよ。俺休み取るから平日行こう。」と話が着々と進み、母も「じゃあ最後にお父さんの骨を見ておこうかしら。」とお別れをする決心がついたようでした。

父の骨を1年ぶりに見て、「骨って何の匂いもしないのね。」としんみりする母に「当たり前だ!今更お父さんの残り香したら怖いでしょ!?焼いた骨なんだから。」と言うと、「そういうものなのね。」と1年経過してようやく「死」に気づいたようで、我が母親ながら頭が痛くなりました。
こういう人だと分かっていたのに何で放っておいても大丈夫と思ったのか、1年前の私に問いただしたい気持ちになりました。

そう、ここまで来るのに1年!
私が動いたら1日!私が動かないと誰も動かない!


分かっていた、分かっていたけど《面倒だなっ》て思ったの。
《何でいつも私があれこれ動かなきゃいけない》のと思ったの。
私がやらなくても《誰かがやってくれるんじゃないかなっ》て淡い期待を抱いたの。
でも、やっぱり違いましたね神様!私がいつだって行動源でした!
と頭を抱えてゴロゴロ転げまわって反省しました。


人にはそれぞれ役目があります。
その役目から逃げようとすればするほど辛くなります。

「どうして自分だけが、と思わずにその役目を受け入れて神様に応援をお願いすることで辛いとは感じなくなります。逆に嫌だと思って逃げようとすれば辛さが増すのです。」と勝先生がおっしゃっていました。
とは言われても、中々素直に「やります」とは宣言できない自分もいて、このように反省するような出来事が起こり、《やっぱり逃げたらダメなのね》と、結局やることになる。
それなら最初からやった方がやっぱり良いんだろうなという大事なことを学びました。

そして、先生方が教えてくださったように、生きている人間の都合ではなく、故人の希望に可能な限り沿った埋葬のやり方を大切にしないといけないと強く感じました。
習慣や建前、世間体といったものに囚われるのではなく、故人の最後の望みを叶えてあげる。
そこで新たなカルマを作らずに成就させていく。
それを無視したり怠ると私のように1年間毎日悪夢にうなされ、満足に寝かせてもらえないようなことになるわけです。

我が父親ながらメッセージの送り方が超絶強引!とも思いますが、それくらい一生懸命に私たちに分かってほしかったんだなとも思いました。


御霊達は様々な形で私達にメッセージを送ってきます。
多くの人はそのメッセージを受け取れる受信機の感度が低い状態です。
そうすると御霊達は必死で伝わるまでメッセージを送り続けます。
たまに私のように感度が高い人間を見つけると、これ幸いと毎日夢の中まで出てきたりもします。
そこで「聞こえない!見えない!」と拒絶すると、もっと激しく伝えようとします。
こちらが気づいて行動するまで止まらないのです。
ですから些細なことでも「気のせいかな?」で済まさずに、きちんとメッセージを読み解き、願いを叶えてカルマを清め成就させてることが非常に重要なのです。

今は父の納骨が無事に完了し、その際に私と父の関係を成就できた出来事もありました。


元々は互いに愛を求めながらも素直に表現することが許されず、表現する機会も与えられず。
心の底から憎しみ合っているのだと思うほど、罵倒しあう関係でした。
しかし、父が倒れ介護する1年という限られた時間の中で「仲直りするチャンス」を与えていただきました。

そして納骨の時には、胸に抱えた骨壷の中の父がまるで胎児のように感じたのです。娘をあやすようにユラユラと一緒に揺れながら愛に飢えた父を思い、寂しがりやの父の気持ちに寄り添う事ができました。

父に語りかけるように「お父さんが今度すぐにまた生まれて来れるなら、私の子になってもいいよ、待ってるよ。神様に相談してみてね。」と伝えました。

生きている内には叶わなかった父の〈母親が側にいて愛されることを実感したい〉という願いを、今の私なら叶えてあげられると思ったからです。

同時に私は今ようやく父への憎しみを手放して、心から父を想う人間になれたのだなと自らの成長も感じました。

父には安心して清まった霊界で祖父母に再会し、素直な気持ちを伝え合い、仲直りして甘えてもらいたいです。